さかだち日記 第11日目

2018年8月23日

エビフライは最初に食べるタイプ。グルテンがなければね。

よく眠れる。
さがたちを始めてから熟睡時間が長い。
朝まで起きない時だってある。
しかも落ち着いて夕方だって迎えられる。
料理のレシピだってじっくり選んで料理ができるようになった。
何かが変わってきた気がする。

給食は中学生までだった。
高校生になると毎日弁当を持って通学だ。
母は料理が苦手だ。通常カレーライスはどこの家庭でも、市販のルーを使えば常識の範囲内の味に仕上がる。
母のカレー、すこぶる不味い。
カレーのルーが混ざり切らないまま、時には味付けをしないままのカレーが食卓に上がる。
今夜はカレーというと普通の家庭で育った子供たちは喜ぶだろうが、僕の場合は憂鬱以外の何物でもない。不味いのだ。

弁当も同じような内容が3年間続いた。
毎日エビフライ。それも冷凍のエビフライが3つ、白米、ソース。以上だ。
飽きるかって?1ヶ月もすぎると自動的に口に運んで咀嚼して飲み込む。作業と変わりない。

もう時効だろう。高校生最初の夏休みの最終日は今でも忘れない。
夏休みも折り返しを過ぎ、二学期も始まろうかとしている日に友達から電話がかかってきた。
現代とは程遠い80年代は、友達とか彼女とかとは固定電話で連絡を取り合うのだ。
飲みに行こうと。
高校一年生の身分にしては小銭を持っていたので、友達4人で居酒屋に飲みにいく。
個人経営の居酒屋で、高校生でも入れてくれる。寛容な時代だった。
友人の一人がミリオタで、酔った勢いでカラオケをいじり出し、何やら選曲している。
全て日本軍絡みの軍歌ばかり。
流石に居酒屋の主人が来て止められたが、その後何を思ったのか腕相撲で勝ったらボトルを一本サービスしてくれるというのだ。
まだまだ子供でロクに金も持っていない高校一年生達は、夢のようなオファーに色めき立ち勝負に挑んだ。
一人目で速攻勝負は決まり、高校一年生の僕たちは喜びトライアングルという焼酎を一本手に入れた。
そして豪快に飲み、軍歌をスピーカーが壊れんばかりに叫び歌う。
結局、つまみ出されてしまった。

消化不足の高校一年生達のパワーはここからが本番だだ。
歩道に駐輪してある自転車を両手で掴み、誰が一番高く遠くまで投げられるかを勝負するは、挙げ句の果てに投げ輪のように歩行者用信号機をターゲットに自転車を引っ掛けだすはの大騒ぎ。
今だったら即捕まるだろう。寛容な社会だった、そう思いたい。
道を挟んだ歩道でタムロしている男達がこちらの騒ぎに気づいて、イチャモンをつけてきた。
酔っ払い同士の喧嘩が始まる。
僕を含め友人達全員、標準以上の筋力を誇り、授業で義務だった柔道のお陰で相手全員を数分で歩道に寝かせてしまった。

三日後、友達から電話が来る。
どおやらあの時酔って倒した相手は、任侠団体の下部組織の下請けのスタッフだったそうだ。
酒を持って詫びを入れに来いということらしい。
友達は酒屋の息子だ。酒はいくらでもある。そう親に黙って棚から日本酒の一升瓶を1本くすねて、挨拶に行く段取りだ。
友達は酒屋の息子のくせして酒が飲めない。
設計士の息子である僕は酒豪だ。建設的な酒豪だ。

二人で「詫び」に行くと、持って来た酒を飲み干すまで帰さないという。
一生懸命、本当に一気に一升の酒を飲み干した。
でも帰してくれない。任侠もへったくれもあったもんじゃない。
高校一年生の体に一升の酒を入れると酔う。とても酔う。
建設的な酒豪の僕は酔った頭で考える。
逃げよう。
走れば捕まらない。走って逃げれば、雨だって避けられるはずだ。
トイレに行くふりをして、しばらく廊下で待つ。
トイレから帰らないと心配だという、わかりやすい演技で友達も廊下に出る。
顔を見合わせた瞬間にダッシュで逃げる。
酔った高校一年生は激しい加速を感じながら全速力で走る。
先週買ってもらったばかりの、ドクターマーチン・エアクッションソールを片足だけ履いてダッシュだ。
近くの公衆電話を探して、バイクの免許を持っている友達に電話する。
昔の高校生は友人達の電話番号を記憶していたのだ。
迎えに来てもらい、ホンダスーパーホーク3に三人またがり逃げるようにして立ち去った。
社会が寛容だったと言い切れないが、僕たちは社会を寛容だと思っていた。

いまでも右太ももの裏にはマフラーで火傷した痕が残っている。
二日酔いを初経験したのは、翌日の始業式の日だった。

 

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